私が大学院に入るきっかけとなった本には、「自分自身が『これぞ』と思うことに、1万時間打ち込んでみよう」といった主旨のことが書いてありました。
つまり、「何者かの自分」になるためには、最低でも1万時間は打ち込む必要があるということです。もちろん「1万時間」というのは一つの目安に過ぎないかもしれませんが、凡人の私には、非常に大変なことです。1日10時間打ち込むとしても1000日を要しますので、3年がかりのプランを立てなければいけません。
私自身、このお話が気に入っているのは、「機会の平等主義」にあると思います。「人によって能力や環境などは異なるだろうけど、まずはツベコベ言わずに自分のやりたいことを『1万時間』打ち込んでみろ」と言っているようで、どこかに清々しさを感じます。
ただし、最近思うのは、あくまで「1万時間」をクリアするということは、「鉱脈クラブ」に入会するための一つの条件に過ぎないのではないかということです。いろいろな本を読んでいくと、「一流」と呼ばれる人に共通する「精神性」が、脈々と受け継がれているような気がしてなりません。それは、言葉にするといろいろな誤解を受けやすいものであるが故に、あまり表には出てこないものであるような気がします。
とにもかくにも、今まで怠惰な生活をしてきた私には、当面の目標は「1万時間」を乗り越えていくことです。今日も一日、コツコツと打ち込んでいきたいと思います。