会話を楽しむために

80代の著名な経営の先生がおっしゃっていました。「人と会い、知的な会話を交わすこと以上に楽しいことはない」

私自身、徐々に歳をとってきたせいでしょうか、その先生のおっしゃったことが少しわかるような気がしてきました。仕事を通して体験し学んできたことなどを持ち寄り、直接会ってお互いの考えを述べ合うことは、非常に楽しいことだと思います。

先日も、そのような機会に恵まれました。


私は、自分自身が体験してきたことを堂々と相手に述べようと、会話することを楽しみにしていました。ところが、会話を始めてみたものの、相手の反応が芳しくありません。要するに、会話が弾んでいきませんでした。結局、相手の反応はずっとイマイチのままで、会話は終了してしまいました。

私の会話の何がいけなかったのか。どのような内容が相手を盛り下げてしまったのだろうか。私はその原因を真剣に探り出そうと思い、そのときの会話の詳細を必死になって思い出していきました。

会話は、最初から弾んでいませんでした。なぜ、最初から会話は弾んでいなかったのだろうか。私の実績が物足りないから、相手は白けていたのだろうか。でも、そうだとすると、最初から会ってはいなかっただろうに。

そんなことを自問自答していたとき、以前、別の人と会って注意されたことを思い出しました。「横山さん、声が大き過ぎですよ」


そうだったんです。私は、相手と会話をすることがうれしくなってしまうと、ついつい周りにいる人への気配りを忘れ、馬鹿でかい声で話したり笑ったりすることがしばしばあるようなのです。

そう考えると、納得することがありました。相手の人は、耳を近づけないと聞こえないような音量で話していました。私が何度か相手の話を聞き直す場面がありました。それは、まさに私の声が大き過ぎるということを、間接的に知らせてくれていたのかもしれません。鈍感な私は、相手の気配りを察知できないまま会話を終えてしまっていたのかと思うと、顔から火が出てしまいました。


会話は相手あってのものですので、相手への気配りを欠かすことはできないということでしょうか。私は、話の内容ばかり気にして、声のボリュームやしぐさ、相手への気配りなどに注意を向けることができないまま、見苦しい素の自分の姿を晒していたようです。


会話を楽しむためには、その内容だけでなく、気配りなどの総合力が必要のようですね。