道徳と経済

私が通っていた山間の小さな小学校にも二宮金次郎の像がありました。薪を背負って歩きながら本を読んでいる子どもの頃の二宮金次郎の姿です。その二宮金次郎こと二宮尊徳が、次のような言葉を残しているそうです。


「道徳を忘れた経済は罪悪である。経済を忘れた道徳は寝言である」


非常に厳しい言葉だと思います。私自身、道徳と経済を二項対立物として捉え、自分自身の置かれた状況に応じてどちらかに重心を傾け過ぎる嫌いがあると反省します。

例えば、自分自身が順境のときは、「経済で世の中は動いている」といった考え方を心地よく受け止め、知らず知らずのうちに道徳を軽んじる傾向にあるような気がします。逆に自分自身が逆境のときは、「今の世の中は道徳を軽視した経済活動に陥っているのではないか」といった論調を心地よく受け止め、私自身が(たいして詳しくもないのに)評論家の立場に立って経済を批判してしまう傾向にあるような気がします。


大切なことは、「道徳と経済を両方とも大きく包み込む」ということなのでしょうか。道徳と経済の間に区切り線を引くことなく、「経済の中に道徳があり、道徳の中に経済がある」ということを常に意識していく必要があるのかもしれません。


「割り切りとは、精神の弱さである」という言葉があるそうですが、道徳と経済を分割することなく、常に両方を意識して仕事に取り組んでいけるようにしていきたいです。