寝言か、ヴィジョンか

二宮尊徳氏の「道徳を忘れた経済は罪悪である。経済を忘れた道徳は寝言である」という言葉が気になっています。というより、「気に入っている」というべきかもしれません。特に後半部分の「経済を忘れた道徳は寝言である」という言葉がいいですね。


自分自身の反省として、いろいろなことを前向きに捉える傾向があります。もちろん、そのこと自体はよいことだと思うのですが、少し間違った使い方をして、いろいろなことを自分の都合のいいように解釈していた嫌いがありました。怠惰な自分や現実逃避をするような自分まで優しく受け入れることが果たしてよいことなのかどうか、これは難しいところです。少し今までの自分を甘い基準で受け止め過ぎていたのではないかと反省します。


起業してから今まで、多くの人に「ヴィジョン」を聞いていただきましたが、聞く人が聞けば、私の軽さだけが筒抜けになっていたのかもしれません。今までの私が「ヴィジョン」だと思っていたことが、聞く側からすれば(もちろん言葉に出しておっしゃることはなくても)「寝言」だと受け止めらていたのかもしれないと思うと、かなり恥ずかしい気持ちになります。


「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、「人事を尽くす」というただ一点に対して、今までの私はあまりにも不誠実でした。私が「ヴィジョン」だと思い込んでいても、それが「ヴィジョン」なのか「寝言」なのかを評価するのは相手側にあります。そのため、「何を話すか」以上に「何を行うか」という普段の行動にもっともっと意識を注入していき、それを真剣に取り組んでいるかどうかを重視していきます。


そういったことを踏まえ、それでもいろいろなことを前向きに捉えていきたいと思います。今までの私が怠惰であったこと、現実逃避する傾向が強かったこと、そういったことも、今をよりよく生きるための反省材料としてあるのかもしれません。「人事を尽くして」、穏やかな気持ちで「天命を待つ」自分自身を築き上げていきたいです。