自分の鏡

具体的に誰がということではなく、フィクションとして、最近不思議に思ったことがありました。


本人は意識していなくても、周りの人についつい不快な言動を振く人がいます。ちょっとした仕草であったり、ちょっとした言葉の言い回しであったりしたものが、周りの人に少しずつ負の感情をまき散らしてしまうのです。当然ながらそういう人は、「そんな些細なことなど気にはしていられない」という発想でそういう態度をとっているものと思っていました。でもそれは、私の浅はかな考えでしかなかったようです。


あるとき、そのような人の考えを聞く機会がありました。「最近は、礼儀やマナーがなっていない人が多い。ちょっとした言葉遣いにイライラしたり、そういう人の態度にはついつい文句を言いたくなってしまう」ということでした。


もちろん、フィクションとしてですが、そういうことは往々にしてあることなのかもしれません。自分の繊細な心が、周りの人のちょっとした言動に負の感情をもたらし、それが知らず知らず、自分の言動となって周りの人に伝染させていくことになっているのかもしれません。


そのことを不思議に思い、改めて自分自身、反省しなければいけないなあと思いました。最近、「今の悩みを、誰かに聞いてもらいたい」と何度も思ったことがあります。誰かに聞いたほしい悩みとは、結局は自分の仕事についてのことですので、自ら答えを見出していくしかありませんし、自ら答えを見出していってこそ自分の人生であると思います。にもかかわらず、「誰かに相談したい」と思っていた私の思考は、かなりの部分で甘えや弱さがあったように思います。


甘えや弱さが自分の心の大部分を占めているときには、ついつい言動の端々に、何等かの負の感情が伴ったものを周りにまき散らしているのではないかと反省します。そして、それが他の人を通してまた自分に跳ね返ってきて、さらに自分を傷つける結果になっているのかもしれません。


そういうときは、逆に「自分以外の人も、誰かに聞いてほしいという悩みを抱えているのではないだろうか」という発想にたってみることが大切なのかもしれませんね。少なくともそういうときは、「悩みを聞いてもらいたい」という思いに深く共感できるときだと思うからです。


今の弱い自分自身に打ち克つべく、心を整え、日々の言動を整えていくよう、精進していく必要がありそうです。