効率重視か、密度重視か

給料をいただく立場にあると、どうしても効率よく仕事をして、最大限のリターンを得たくなるものですが、そのことを反省する出来事がありました。


数年前だったでしょうか、校正・校閲の仕事を企業内でさせていただいたことがありました。並べられた机に向かい、私たちは黙々と校正・校閲の作業を進めていきます。作業を開始すると、もう周りが見えないくらい集中していくわけですが、それでも集中力が途切れてしまうことがあります。


そのとき、いつも私の隣に座っていた人が気になっていました。私が疲れて首を回したり飲み物を飲んだりしてちらっと隣を見ると、彼はいつも文字に顔を近づけ、真剣に作業を続けていました。決められた休憩時間になると、私は席を立ってトイレに行ったり食事したりしてリラックスしていたのですが、そんなときも彼はほどほどに休憩をとり、休憩時間の途中から作業を再開していました。


彼は、今取り組んでいる仕事がとても楽しそうでした。人より余分に仕事をしても、余分に給料をいただけるわけではありませんし、誰かに褒めてもらえるわけでもなさそうでした。それでも彼は、楽しそうに作業を続けていました。


彼は話すことに少し障害があったのかもしれませんが、私が話しかけたら、たどたどしい言葉で応えてくれました。そしてまた、楽しそうに作業を進めていきます。


彼を見て、本当に反省させられました。私の中には意地汚い部分もありますので、少ない労力でより多くのリターンを得たいという欲望に引っ張られてしまうことがあります。だからこそ、自分の中のどこかに、それを超越した哲学のようなものを持っておく必要があると感じました。それはひょっとしたら、イチロー選手が「打率」を重視せず、「安打数」を重視していることに近い発想なのかもしれません。


確かに人からいただく給料はできるだけ「効率良く」獲得したいものですが、その欲望を超越して、自分自身の時間をもっともっと「密度濃く」生きていきたい、前向きに生きていきたい、という気持ちを抱き、目の前の仕事に取り組んでいくべきだと反省させられました。