藤井聡太七段

「専心」という言葉に惹かれ、昨日藤井聡太六段のことを書いたばかりだったのですが、その後、昨日の時点ですでに七段に昇段したそうです。昇段スピードが速すぎるため、もともと来月に開催予定だった昇段パーティーを、三段分まとめて開催することになった模様です。


藤井七段のすごいところは、「この勝負に勝てば、昇段する」という一局に対して、すべて勝ってきたことでしょう。もともと勝率が8割を超えているため、単純に考えても勝つ可能性は高いのですが、そのような大事な一局を前にしても、普段通りの実力を発揮できる精神力も、実力と比例して高まってきているのではないでしょうか。


ところで、「専心」という言葉ですが、やはり今の私にとって何か響くものがあるようで、心のどこかに残っています。「心を一つのことに集中する」ということ自体、本来であれば、誰でも今からすぐに取り組むことができる心の姿勢をさします。それは、「大切な一つのこと」に取り組んでいる時間において「心を集中させる」だけでなく、その他のさまざまな日常生活を過ごしているときにおいても、「大切な一つのことに、心が向かっている」ということも含まれると思います。藤井七段からすれば、高校に通学している間においても、どこかで将棋のことを意識している状況をさすのでしょう。


ところが、この「専心」を持ち続けることは、誰でも簡単にできるようで、そんなに簡単なことではないことに気づかされます。些細なことで感情の起伏があったり、「大切な一つのこと」と向き合うのがしんどくなって、ついつい楽なほうに心が向きがちになったりします。「大切な一つのこと」を見失うこともあるでしょう。


そういう観点から見直せば、羽生善治竜王のすごさもそういったところにあるのではないかと思います。もともと突出した能力を持ちつつ、飽きることなく将棋に向き合い続け、今も精進し続けていることが、その能力以上にすごいことではないでしょうか。イチロー選手のすごさも、そういったところにあるのでしょう。


「大切な一つのこと」を見失ってしまうことはありますが、「素直な心」で自分自身を見直してみると、やっぱり本当は「大切な一つのこと」は自分自身のどこかでわかっているように感じます。心がしんどくなってしまいそうになったときこそ、「専心」という言葉を思い出し、「大切な一つのこと」に心を向かわせるように意識していきたいと思います。