ニホンカモシカ!

以前、不思議な動物に遭遇したことがあります。山道を車で運転していると、前のほうに野生の動物がいました。顔はイノシシなのに、足は鹿のようにすらっとしている…。


「ひょっとして、新種の動物に遭遇したんじゃないの…」


ずっとそう思っていました。イノシシと豚の交配によるイノブタという動物が存在するように、イノシシと鹿の交配による「イノシカ」がいるのかもしれない…。ずっと、そう思っていました。


先日、たまたま新聞に目を通していたら、ニホンカモシカの写真が出ていました。まさに「イノシカ」でした。顔はイノシシで、足は鹿のように細くて長い…。数年来の疑問がようやく解けました。


「そうか、あの日はニホンカモシカに遭遇していたんだ!」


ニホンカモシカという野生動物がいること自体は知っていましたが、今まで一度も写真を見たことがなかったので、どちらかというと顔も鹿に近いイメージを勝手に想像していました。初めて写真を見たとき、まさにニホンカモシカは「イノシカ」そのものでした。



顔はイノシシで、足は鹿のように細くて長い不思議な動物…。最近、ニホンジカが増えて生息しづらい環境になりつつあるようですが、またどこかで元気なニホンカモシカと遭遇できることを期待したいと思います。

スーパームーン

最近、月が大きくてきれいに見える、と思っていたのですが、それにはきちんと理由があったようです。


スーパームーンの時期で、今年一番に月が大きく見えるタイミングだったようです。月の中のウサギを、肉眼でこれほどはっきり見たのは久しぶりのような気がします。


そもそも、スーパームーンと言って、いつもよりも何割か増しで月が物理的に大きく見えるタイミングがあること自体、初めて知りました。やっぱり月は、太陽よりもはるかに地球に近い存在だから、見え方もいろいろと異なることがあるのでしょう。


近くて遠い月。そもそも私たちが子供だった時、21世紀はもっと月が、宇宙が、近い存在になっているものとばかり思っていましたが、あまりそのようにはなっていないようです。最近、間もなく月旅行することを発表した事業家の方がいましたが、もっともっと月が近い存在になれば、と思います。

目的意識を持とう

代ゼミに通う浪人時代、地球物理学者の竹内均さんが講演をされたことがありました。インターネット環境が整備されている現在とは異なり、当時の「サテライト講義」は斬新な講義手法として注目されていました。そのときも、東京の教室での講演を、サテライトを通して神戸の代ゼミ会場で聞いていました。


竹内均さんの講演内容は、受験勉強のテクニカルな内容とは全く次元が異なりますので、任意参加のはずだったのですが、神戸の会場もほぼ満席でした。それまで、目的はともかく、とにかく「目標大学に合格する」ことだけを目当てに受験勉強をしていた私にとって、「目的意識を持とう」といった内容がとても新鮮で、まさに目から鱗でした。


もちろん、「目的意識を持とう」と自問自答してみても、そのようなことが習慣化させていなかった私にとって、すぐに答えが出るわけもなく、「大学に行ってから考えよう」と割り切ってしまうこととなりました。結局大学に入ったら、そのことを忘れてしまい、錨のない小舟のように、フラフラと波に流されるままに生きてきたような気がします。


「目的意識」とは、「行動の目的に対する明確な自覚」(デジタル大辞泉)という意味です。つまり、自覚を持つことが大切、ということなのでしょう。50年近く生きてくると、「本当にうまくいかないなあ」と思うことがどんどん蓄積されていきます。もちろん、与えられた環境によるものも多々ありますが、さすがに50年近く生きてくると、自分の生き方には自分で責任を持たないといけない、と思うようにもなります。


自分自身が取り組みたいことがあっても、すぐ目の前に困難な出来事が現れ、それを阻害しようとします。そして自分自身の気持ちも動揺し、やがてやる気をなくしていきます。だからこそ、もう一度立ち返ることができる場所を持ち、自分自身の目的意識を見つめ直すことが大切なのかもしれません。


これからシニア時代を経て、やがて高齢者時代に突入していく私にとって、「目的意識を持つ」ことは、ここからがますます重要になってくるのかもしれません。「人生百年時代」と言いますが、健康に留意し、なおかつ経済面に留意しつつも、どのような目的意識を持つべきか、持つことができるかを、もっともっと真剣に向き合いつつ、密度の濃い時間をここから過ごしていきたいと思います。


目的意識に裏付けられたライフワークを持ち、ライフワークを通した濃密な生き方がいつの間にかできているのであれば、それがきっと理想的な生き方なのでしょう。

What’s Up

今までに何度か、レコード店をはじめとするいろいろな店舗で気になる曲が流れ、「これは誰の、何という曲だろう??」と思ったことがあります。


最初に「誰の曲だろう?」と思ったのが、浪人時代に代ゼミの書店で流れていた佐野元春の「SOMEDAY」です。浪人生にとって励みにもなるような曲ですので、気になりましたが、すぐに特定することができました。確かそのころ、CMでも使われていた曲だったと思います。


次に、東京のツタヤで流れていたミスチルの「終わりなき旅」。これも社会人となり悶々としている私にとって励みとなるような曲でしたので気になりましたが、「おそらくミスチルの曲だろう」ということはすぐにわかりました。その後、曲名もすぐに特定することができました。


曲を特定するのに最も時間がかかったのは、4 Non Blondesの「What's Up」。これは、レコード店をはじめいろいろな店舗で当時流れていましたが、スマホがなかった時代ですので、なかなか特定することができませんでした。レコード店で流れていたときがあったので、店員さんに聞こうと思ったこともありましたが、聞く機会を逸してしまい、その後、特定することができないまま、その曲のことはほとんど忘れかけていました。


その後、かなり日数が経ってから、友達がたまたま聞いていたMDプレーヤーの中にこの曲が入っていたので、ようやく曲を特定することができました。


曲名を特定させるとき、有名な歌手の曲であれば、すぐに特定することができました。でも、洋楽で、歌手自体がそれほど有名でないとき、特定させるのに時間がかかる傾向にあるようです。今では鼻歌検索のアプリがあるみたいですので、このように悶々とすることはかなり少なくなっていることでしょうが…。


最近は、そもそも「この曲が気になる」と思うこと自体、ほとんどないような気がします。「いい曲を探したい」という欲求自体が薄れ、今までの名曲で満足しているような傾向にあります。もっともっと、新しいものに好奇心をもって目を向けていかなければ、と反省させられました。

生涯現役は可能か

あれだけ強かった女子レスリングの吉田沙保里選手が引退宣言し、「現役」であり続けることの難しさを改めて想像しました。


例えば、スポーツ選手。体力の衰えとともに、パフォーマンスが下がってしまいます。経験を積んで試したいことはたくさんあるはずなのに、身体が思うように動かず、せっかくの経験を活かしきれないまま、引退する人が多いことでしょう。そのため、自らの経験で得た知恵やノウハウは、指導者として後輩に引き継いでいくことになるのでしょう。


例えば、将棋棋士。将棋は、頭脳を使った格闘技と言えるかもしれませんが、「格闘技」だからこそ、若い人の切れ味鋭い読み筋に対抗するのは至難の業となっていくことでしょう。将棋棋士は、成績さえ良ければ引退する必要はありませんが、あのひふみんこと加藤一二三棋士も、成績の基準に照らし合わせて引退せざるを得ませんでした。


例えば、音楽家。特に作曲家としての能力は、若い時代に花開く人が多いように感じます。若い時代にたくさんの名曲を生み出し、人気を博した作曲家兼音楽家が、その後若い時代に生み出した曲を超えるような作品を残せないまま、くすぶり続けることが多いようにも感じます。


例えば、小説家や漫画家。「文豪」と呼ばれる作家もいますが、やはり多くの人が若い時代の瑞々しい感性から生み出された名作をその後超えることができないまま、鳴かず飛ばずになっていくことが多いのではないでしょうか。


例えば、会社員。多くの人はどこかの会社に属して収入を得ていますが、ほとんどすべての会社に定年制があります。「まだまだ元気なので働きたい」と思っても、定年の基準日になれば会社を去っていくしかありません。もちろん、会社の経営陣に上り詰めて自らを定年制の枠外に導くことができるかもしれませんが、役員にも任期があります。仮にずっと経営者として居座り続けることができたとしても、そのうち「老害」と揶揄されてしまうかもしれません。


例えば、政治家。自主的に公認基準として年齢制限を設けている党もあるようですが、基本的には政治家に定年制はありません。しかしながら、世間の目がありますので、政治家の椅子に安住し続けることは難しいでしょうし、仮にできたとしても、何も成果を出していなければやがて世間の風当たりは強くなっていくことでしょう。


例えば、大学教授。名誉教授としていつまでも大学に残れる人もいるようですが、65歳を定年としている大学が多いようです。また、少子化が進んで学生の奪い合いとなり、大学教授の資質を以前よりも厳しく問われることが多くなっているのかもしれません。


このように、いろいろな職業がありますが、「生涯現役」であり続けることは非常に難しいテーマだと思います。「現役」という定義を「誰かに雇われて収入を得ること」と設定するのであれば、予算の問題がありますし、運営者側の意向として新陳代謝を求めたい欲求もあるでしょうから、これをいつまでも続けることは確かに難しいことだと思います。


でも、「生涯現役」というものを「(収入の有無によらず)自ら働き続けること」と定義するのであれば、誰にでも「生涯現役」の道が見えてくるのではないでしょうか。つまり、「ライフワーク」に取り組むということです。「自分の残された時間は、このことに打ち込もう」という課題があれば、それが世の中にとっても有意義なものであれば、収入があるかないかにかかわらず、それはまさに「ライフワーク」と呼べるのではないでしょうか。「ライフワーク」であれば、自らのペースで取り組むことができますし、自らの生活環境に応じて対応を変化させていくこともできます。


また、一方で、イチロー選手や羽生善治九段など、厳しい勝負の世界で長く雇われ続けている「現役」の人が、これからどのような生き様を見せてくれるのかも、注目し続けたいと思います。

霊長類最強女子、吉田沙保里選手

女子レスリングの吉田沙保里選手が引退宣言をされたことがニュースになっています。


吉田さんは三重県のスーパースターで、このような田舎町から国民栄誉賞を受賞する人が現れるとは思いもよらず、不思議な気持ちで応援してきました。


吉田選手がリオ五輪の決勝戦で負けた姿をテレビで見たとき、東京オリンピックでは実際の会場へ応援に行こう、と密かに思っていたのですが、それが実現できず、正直なところ残念な気持ちが強いです。


もうあの強さを見ることができないことを知って、改めて今までのすごさを思い知らされます。今後、監督・コーチの道を進むことはやんわりと否定されていましたが、今後の活躍も要注目です。


NHKのインタビューでも彼氏がいないことを正直に告白されていましたし、高校時代には同じ人に6回告白して6回ともフラれたことを笑って話せるところからもわかるように、底抜けに明るい性格だなと思います。あのキャラクターを活かして、明るい気持ちになれるような活躍をしてほしいと思います。

2019年、最初の日

2019年1月1日、新年を迎えました。


明けましておめでとうございます。


2019年は元号が変わり、いよいよ平成から新しい時代を迎えます。次の時代は、どのように変わっていくのでしょうか。節目の一年を新鮮な気持ちで迎えられるよう、いろいろなことを前向きに取り組んでいきたいと思います。


2019年、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。