生涯現役は可能か

あれだけ強かった女子レスリングの吉田沙保里選手が引退宣言し、「現役」であり続けることの難しさを改めて想像しました。


例えば、スポーツ選手。体力の衰えとともに、パフォーマンスが下がってしまいます。経験を積んで試したいことはたくさんあるはずなのに、身体が思うように動かず、せっかくの経験を活かしきれないまま、引退する人が多いことでしょう。そのため、自らの経験で得た知恵やノウハウは、指導者として後輩に引き継いでいくことになるのでしょう。


例えば、将棋棋士。将棋は、頭脳を使った格闘技と言えるかもしれませんが、「格闘技」だからこそ、若い人の切れ味鋭い読み筋に対抗するのは至難の業となっていくことでしょう。将棋棋士は、成績さえ良ければ引退する必要はありませんが、あのひふみんこと加藤一二三棋士も、成績の基準に照らし合わせて引退せざるを得ませんでした。


例えば、音楽家。特に作曲家としての能力は、若い時代に花開く人が多いように感じます。若い時代にたくさんの名曲を生み出し、人気を博した作曲家兼音楽家が、その後若い時代に生み出した曲を超えるような作品を残せないまま、くすぶり続けることが多いようにも感じます。


例えば、小説家や漫画家。「文豪」と呼ばれる作家もいますが、やはり多くの人が若い時代の瑞々しい感性から生み出された名作をその後超えることができないまま、鳴かず飛ばずになっていくことが多いのではないでしょうか。


例えば、会社員。多くの人はどこかの会社に属して収入を得ていますが、ほとんどすべての会社に定年制があります。「まだまだ元気なので働きたい」と思っても、定年の基準日になれば会社を去っていくしかありません。もちろん、会社の経営陣に上り詰めて自らを定年制の枠外に導くことができるかもしれませんが、役員にも任期があります。仮にずっと経営者として居座り続けることができたとしても、そのうち「老害」と揶揄されてしまうかもしれません。


例えば、政治家。自主的に公認基準として年齢制限を設けている党もあるようですが、基本的には政治家に定年制はありません。しかしながら、世間の目がありますので、政治家の椅子に安住し続けることは難しいでしょうし、仮にできたとしても、何も成果を出していなければやがて世間の風当たりは強くなっていくことでしょう。


例えば、大学教授。名誉教授としていつまでも大学に残れる人もいるようですが、65歳を定年としている大学が多いようです。また、少子化が進んで学生の奪い合いとなり、大学教授の資質を以前よりも厳しく問われることが多くなっているのかもしれません。


このように、いろいろな職業がありますが、「生涯現役」であり続けることは非常に難しいテーマだと思います。「現役」という定義を「誰かに雇われて収入を得ること」と設定するのであれば、予算の問題がありますし、運営者側の意向として新陳代謝を求めたい欲求もあるでしょうから、これをいつまでも続けることは確かに難しいことだと思います。


でも、「生涯現役」というものを「(収入の有無によらず)自ら働き続けること」と定義するのであれば、誰にでも「生涯現役」の道が見えてくるのではないでしょうか。つまり、「ライフワーク」に取り組むということです。「自分の残された時間は、このことに打ち込もう」という課題があれば、それが世の中にとっても有意義なものであれば、収入があるかないかにかかわらず、それはまさに「ライフワーク」と呼べるのではないでしょうか。「ライフワーク」であれば、自らのペースで取り組むことができますし、自らの生活環境に応じて対応を変化させていくこともできます。


また、一方で、イチロー選手や羽生善治九段など、厳しい勝負の世界で長く雇われ続けている「現役」の人が、これからどのような生き様を見せてくれるのかも、注目し続けたいと思います。