陳腐で薄汚れた服

子供の頃戦争を体験し、ユダヤ人としてさまざまな迫害を受けつつも、両親を残して「西側」に亡命した経営者の本を読みました。まるでDVDにすべてを保存していたかのように、母国での回想があまりにも鮮明であることに驚きます。


亡命に成功し、アメリカに到着すると、ニューヨークの親戚の人に早速「アメリカの服」を新調してもらいます。その場で新しい服に着替えるのですが、陳腐で薄汚れていた母国の服を無造作にビニール袋に押し込みつつも、「決して離さないように強く握り締めた」そうです。


彼はその後、アメリカで実業家として成功しますが、「ビジネスとプライベートを明確に区別する」という理由で、過去の経験を明かしてこなかったそうです。ビジネスの一線を退いたからでしょうか、ようやくこのような半生を明かす本を著したわけですが、彼はやっぱり「陳腐で薄汚れた服」を、どんなときも強く握り締めていたようでした。母国における過去の出来事を鮮明な映像のように表現していることが、その証拠だと思います。


たまたま最近読んだ本に、「できれば避けて通りたい苦しい過去、悲しい過去にこそ、その人の人生の目的が潜んでいるのかもしれない」というようなことが書いてありました。ある先生からは、「仕事だけでなく、過去のあらゆることを『棚卸』することが大切」だと教えられてきました。


過去を現在に取り入れていくということも、非常に大切だということなのでしょうね。