25年後に残るもの

先日、ふとしたきっかけで、私が中学一年生だったときの出来事を思い出しました。もう25年以上も前のことです。
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中学一年のとき、私はコンクリート壁を思い切り拳でなぐり、血を流してしまいました。幸い骨に異常はなく、軽傷で済んだのですが、そのときに手当てをしてくれた先生の対応が印象的でした。当時の私はその先生に叱られると思っていたのですが、やさしい表情で、次のような言葉をかけていただきました。

「その拳を人に向けなかったことが大切だと思うよ」
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あれから25年以上が経過し、よくよく考えてみたのですが、あのとき、私がケガを負うまで腹を立てた理由は何だったのか、正直なところ、全く思い出せません。要するに、私が日常的にイライラしたり怒ったりする感情やその理由などは、実はとても瑣末なことなのかもしれません。

また、本当に申し訳ないのですが、あのとき対応していただいた先生の名前も思い出せません。そうすると、(あくまで私自身の勝手な解釈ですが)特定の個人名なども、それほど重要性の高いものではないのかもしれません。


では、日々生活していく中で、どのようなことが非常に大切なことなのでしょうか。私が25年経っても忘れていなかったことは、あのときの先生の大きな心、目の前の相手を信じ切っていた心であったと思います。実際にあの出来事を思い出した直後、「ああ、あのときは本当に有難かったなあ」と感謝せずにはいられませんでした。


心はどこかでつながっているのかもしれません。私自身、あのときの先生のような心を持った大人になっていきたいと思います。