気持ちの乗る日と乗らない日

自分自身の反省を踏まえて一日一日を振り返ってみると、気持ちが乗っていて、最大限の力を尽くそうと何かに夢中で取り組んでいる日と、気持ちが乗らず、どうも足踏みしているなと思う日があります。

それは単純に、体調の良し悪しなどが影響していることも多いと思います。でも、自分自身が後悔しないようにするためには、気持ちの乗らない日、時間を、なるべく少なくしていく必要があるように感じます。


何かに夢中で取り組んでいるときというのは、無意識であったとしても、その方向性がはっきりしている気がします。自分が向かおうとしているところ、イメージしている「到達点」が鮮明で、そのために今を前向きに、元気に、力を尽くそうとしている状態に入っています。

でも、よくよく考えてみると、自分自身がイメージしている「到達点」に到達できると考えること自体、実は根拠のないもので、そのため、元気に頑張っているときというのは、往々にして「根拠のない自信」に満ち溢れていることが多いような気がします(あくまで私自身の反省ですが・・・)。

そして、逆に気持ちが乗らずに足踏みしているときというのは、よくよく振り返ってみると、自分自身が「利口」になっているときのような気がします。「自分の置かれた状況」を冷静に判断でき、そのため、その厳しさに気持ちが萎縮してしまっている状況と言えそうです。


そう考えると、気持ちが乗りに乗っている日と、気持ちが萎えてしまっている日は、実は両方とも、それぞれにとても意義のあることのような気がしてきました。

「到達点」のビジョンをより鮮明にしていくためには、「利口な自分」が前面に出てくる「気持ちの乗らない日」を大切にしていく必要がありそうです。冷静に、客観的に「自分の現状」を見直し、それでも向かいたい「ビジョン」を練りに練っていくには「もってこい」の日だと言えそうです。

そして、「気持ちが乗っている日」は、「根拠のない自信」を全開にし、前へ前へと進んでいくのに「もってこい」の日だと思います。


気持ちが乗っている日も、乗らない日も、実は私にとって、それぞれに重要な意味があり、それぞれの役割をよく理解して、大切にしていく必要がありそうですね。