サムライの美意識

最近読んでいた歴史小説が、非常におもしろかったです。幕末の動乱期における武士の「美意識」を描いた作品ですが、いかに自らの「美意識」を醸成し、どのように自らの「美意識」をかたちにして生きていくのかが描かれていました。


結局、そのサムライは、死後、自身の領地だった村人に、その墓石を鞭打たれてしまいます。成し遂げたことに対する評価は賛否両論あるようですが、「いかに生きるべきか」という大きなテーマに対し、「どのような美意識を持つべきか」ということの重みを後世に知らしめています。


自分自身、今まで「美意識」というものをほとんど醸成してこなかったし、仮にそれなりの「美意識」を持っていたとしても、決して忠実に生きてきたとは言えません。最近ふと、「20歳の自分が、40歳になった自分の姿を見ているとしたら、相当落ち込んでいるのではないだろうか」とぞっとしました。


もちろん、結果に対する「運」というものはあるでしょうが、最大の問題は「いかに充実した生活を送っているか」にあると思います。私は自分の時間を「精一杯生きているか」と問われれば、残念ながら、なんだかんだ言い訳をしながら、のらりくらりと生きていたとしか言いようがありません。


「美意識」に対する最近の顕著な例で言えば、スティーブ・ジョブズ氏が挙げられるのではないかと思います。「これは美しくない」と、部下や取引先を(美しくない言葉で)罵倒し、何度も何度もやり直しを命じます。そうして、あのような素晴らしい商品群が生まれました。偶然かどうかはわかりませんが、スティーブ・ジョブズ氏が「禅」に対して大きな関心を示していたことが、何等かのことを物語っているのかもしれません。


おそらく、ここ数年忘れ去られたか、もしくはほとんど顧みられることのなかった「不・美意識の時代」から、これから振り子が大きく振れるように、ますます「美意識」が重視される「美意識の時代」に突入していくのではないでしょうか。