空気という時間、時間という空気

最近、分子生物学者の福岡伸一さんの本を読んだのですが、非常に面白かったです。水中で生き続ける、逆に言うと水中でしか生きることのできない魚は、自分自身が水の中にいるということを自覚していません。


一方、人間は、「時間」という媒体を通して生きていますが、逆に言うと「時間」という媒体を通さないと生きていくことができないため、「時間」そのものを自覚することができません。


「最先端の科学者が語る言葉は、しばしば最先端の哲学を語ることになる」といった趣旨の言葉を聞いたことがありますが、まさにそのことを思い出しました。確かに「時間」というものは、時計やカレンダーといった分節したものは実感することができても、「時間そのもの」を自覚できるかというと、これはもう哲学的な思索に入り込んでいく必要がありそうです。


私たちはまた、空気という「媒体」を通さないと生きていくことができません。それほど大切な空気もなかなか自覚することはできませんが、ときどき吹き抜けていく風が心地よく感じるのは、普段意識していない「空気」の存在を、一瞬だけでも実感することができるからでしょうか。


「時間」と「空気」。人間が生きていく上で欠かすことのできない「時間」を自覚するためには、「空気」にまつわる出来事が大切な隠喩を含んでいるような気がします。