感謝する人とされる人

ときどき実家の家に、自家栽培した野菜や果樹類を差し入れしてくれるおばさんがいるようです。そのおばさんの息子さんが、私と小学校の同級生でした。


私は、その同級生のことを気に入っていました。非常に優しい心を持っていたし、ユーモアのセンスに溢れていました。つまりは、その子と一緒にいることが、楽しかったわけです。ただ、彼は、学校の勉強が苦手でした。それで、止むを得ず、中学卒業と同時にずっと働いています。


最近になって聞かされたことですが、私たちが小学生だったとき、彼が夏休みの宿題で出した自由研究を、私が「すごいなあ、よくできてるやん」と褒めたことがあるそうです。彼はそのことがうれしくて、その自由研究の作品を、しばらくは枕元に置いて寝ていたそうです。


本当に考えさせられました。正直に白状すると、私は昔、何を褒めたか、すっかり忘れてしまっています。どう転んで解釈してみても、「昔、その子を褒めた私が偉い」という結論に至らないことは、火を見るよりも明らかです。

「彼の素直な心、純粋な心、おばさんの感謝の気持ちを持ち続ける心こそ、偉大なものである」ということを、今の私でも理解できるように、目の前に差し出された出来事でした。


ついつい私は、「〜されたい」という願望を持ってしまい勝ちです。「感謝されたい」「尊敬されたい」「愛されたい」などといったことは、それは結果として起こるものであって、決して求めるべきことではないと気づかされます。

それよりも、「〜したい」という素直な気持ちを持ち続けることが大切だと思います。「感謝したい」「尊敬したい」「愛したい」などのように、誰かを思う気持ちこそが、偉大なものであるということを、最近になってようやく気づき始めたような気がします。

それは、仕事においても、大切な視点であると思います。「自分が〜されたい」のではなく、「誰かを〜したい」という思いこそが仕事の原点であるということを、すっかり見失っていたように感じます。


本当に、気持ちのよい反省をさせていただきました。