「成功」の変遷

私が20代から30代前半くらいまでの時期は、「成功」という言葉がキラキラしていました。その当時の私にとって、「成功」こそが「幸せ」を導いてくれるものであり、人生の目的であるかのように受け止めていました。


40歳になった今、大いに反省します。今までの私は、「成功」という言葉を「自分の成功」と受け止めていたようでした。はっきり言えば、「自分さえよくなれば…」という小さなエゴで固められた「成功」を追い求めていただけではなかったかと思います。そして、そのような「成功」は、「結果」に対するものでしかなかったと思います。世間一般が認めるような「結果」さえ手に入れることができれば、自分の人生を豊かにしてくれるという思い込みがありました。


「自分さえよくなれば…」という考えは、「自分そのものをよくする」ことには目もくれず、「自分そのもの」以外の自分の所有物、例えば地位や財産といったものを取り揃えることで「幸せ」になろうという指向性があったと思います。また、「結果としての成功」は、まさに「タッチ・オブ・グローリー」で、誰もそれを所有することができないにもかかわらず、世の理に逆らい、不老長寿の薬を追い求めてさまようようなものではなかったかと反省します。


それまで私が抱いてきた「成功」は、やがてはメッキが剥げ落ち、空疎な中身が露呈してきました。だからこそ、自分にとっての「成功」をもう一度見直し、あるべき「成功」を追い求めることを開始しないといけないのかもしれません。それは、「自分そのもの」をよくする(成長させる)ことであり、「結果ではなく経過」を重視する生き方であり、まさに「人事を尽くして天命を待つ」ような生き方ということでしょうか。


大切なことは、「穏やかな気持ちで天命を待つ」心境になれるよう、今そのものを「人事を尽くす」ことができるかどうかにかかっているのかもしれません。「言うは易く、行うは難し」ですが、「成功」という言葉の定義を今一度捉えなおし、人生の後半戦に突入していきたいと思います。