パニック障害の反省

最近は、少しでも地震の揺れを感じると不安感を覚えます。都内ではそれほど大きな余震は起こっていないのですが、またあの日のように大きな地震がもたらされるのではないかとビクビクしています。本当に私の心の弱さを思い知らされます。


私が心の弱さを反省するとき、どうしても「パニック障害」のことを取り上げざるを得ません。正直に言いますと、つい最近まで「パニック障害」という心の病(脳機能障害という意見もあるようです)があることを知りませんでした。そのため、過去に「パニック障害」の症状が出たときには、本当にどうすることもできず、ただひたすら自分の「心の異変」が静まることを待ち続けるしかありませんでした。


記憶に残る経験の中で、一番最初に出た症状は、小学校の授業にあるのかもしれません。小学生だった私は、授業の途中で抜け出すことが許されなかったことから、脅迫観念を覚え、授業が始まるとトイレに行きたくなる時期がありました。45分間を我慢し、休憩時間でトイレに行くと、おしっこが出るわけではありません。でも、また授業が始まるとトイレに行きたくなる、ということの繰り返しでした。


大人になってからは、トイレに行くことを制限されることは滅多にありませんので、何度もトイレに行きたくなることはなくなりました。でも、今度はバスの中で突然「心の異変」を覚えました。バスに乗り込み、発車するのを待っていたのですが、人がどんどん乗り込んできて身動きがとれなくなっている状態であるにもかかわらず、バスはなかなか発車してくれません。私はいてもたってもいられなくなり、多くの人をかき分けてバスを降りようかと思いましたが、このバスに乗らなければいろいろな不都合が生じます。私は一人で「心の異変」と格闘しながら、ずっとどうすべきか思案していました。やがてバスは動き出し、車窓の景色が変化するのを見ていると、さっきまでの「心の異変」が嘘のように、いつもの自分に戻っていました。


私の「パニック障害」は、頻繁に起こるわけではありません。でも、動かないバスや電車に乗り込むと、ときどきそのような状態に陥ってしまうため、なるべく発車時刻間際になって乗り込むなど、いろいろと工夫をしています。逆に言うと、私が「パニック障害」に陥る条件は、かなり限定的なのかもしれません。


以前、パニック障害に陥ったとき、精神科医などに相談すべきかどうか考えたこともありました。でも、きっと私の「心の異変」はかなり特殊なものであって、心の専門家に説明したところで理解してもらえないだろうと高をくくっていました。その後、あるテレビ番組で著名人が私と同じような症状に陥ることがあると話していたので、「ひょっとしたら…」と思い、早速ネット検索してみました。そうして、過去に私を苦しめてきた「心の異変」は、「パニック障害」と呼ばれるものであり、私以外にも多くの人が苦しめられていることを初めて知ることができました。私はどこまでも「人間」の範疇の中で悩み、苦しんでいることを知り、少しほっとした記憶があります。


いろいろ調べてみると、私の「パニック障害」の症状は、かなり軽度なものであることを理解しました。「きっとこれは自分だけに起こる特殊な事態であって、こういうことで苦しんでいるのは自分くらいのものだろう」と思っていたことが、少し恥ずかしくなりました。


その後は「パニック障害」の症状らしきものは発生していませんが、もしまたどこかで突然苦しめられても、自分よりももっと苦しんでいる人がいることを忘れずに格闘していきたいと思います。


最近思うのですが、「パニック障害」が心の病であれ脳機能の障害であれ、それがマイナスのことばかりを引き起こすかというと、そんなことはないような気がします。通常の人と少し異なる空間認知のおかげなのかどうかはわかりませんが、秋の晴れ間に広がる高い空の下で歩いていると、何とも言えない爽快な気分を味わうことができます。この感覚は「パニック障害」を持った人だけに限定されるものではないと思いますが、このような開放感、爽快感を、特に強く味わうことができます。


私の場合は軽度であるため、こんなことが言えるのかもしれませんが、「パニック障害」を苦しみなどのマイナス面だけで捉えるのではなく、爽快感などのプラス面があることもしっかりと認識し、冷静に、前向きに、向き合っていきたいと思います。